人生終了童貞の後悔
こんにちはどうも。
人生終了しました。自分語りします。よろしくお願いします。
突然ですが皆さんは
「一生懸命に、全力で取り組んだ経験」がありますか?
私にはありません。
今更ですが学生時代に部活をやっていればよかったと、体育祭を、合唱コンクールを一生懸命やっていればよかったと後悔しています。
このブログを読んでくださっている方がいたとしたら、あなたはオタクですか?
どんなオタクですか?
私は今も昔も逆張りゴミオタク(そもそも本当にオタクか?)。
学生時代の私は一生懸命頑張る皆を皮肉り、不平不満ばかりを言い、何も努力をしないカースト最下層の搾りカスみたいなゴミでした。
成人して数年がたった今も、本質的には何も変わっていないと思います。
頑張る皆を見下してきた私ですが、実はスポーツ観戦や熱いフィクション作品を見るのが割と好きです。
先日、とある作品を見ました。
主人公が頑張って頑張って頑張って....周りのみんなも一体になって大きなことを成し遂げる。
そんな作品でした。
とても羨ましいと思いました。自分も何かを成し遂げたいと思いました。
だけどもうそれができる環境に私はいないのです。自分の周りには誰もいないのです。
彼女ができたことがない、1番になったことがない、友達がほとんどいない、勉強ができない、スポーツができない。
後悔はとても数え切れません。
だけど最も大きな後悔は、冒頭で述べた通り「一生懸命に物事に取り組んだことがない」ということです。
昔は一生懸命な人を冷めた目で見ていました。
「そんなことをして何になるんだ」「お前のやる気を押し付けるな」「良い格好がしたいだけだろう」
そんな自分が大人なんだと、達観しているんだと錯覚していました。
皆さんには経験がありませんか?
そんな自分は自己中心的な子供だったんだと、歳だけは大人になった今、実感しています。
今の自分は頑張れません。すぐに無理の境地へと至ってしまいます。
頑張った経験も成功体験もないのだから当たり前です。
もう二度と手に入らないものへの羨望は、どんなに後悔の少ない方でも知るところだと思います。
学生時代というのは大人になってからでは手に入れることが難しい経験を手に入れやすい時代だったんですね。
心が正常に成長できなかった私は、今何かを手に入れても心が満たされません。
誰かに称賛されたとしても
「実力ではなく運が良かったからだ」「誰だってできる」「もっとすごい人がいる」
そう感じて喜ぶことができません。
自己肯定感の欠如です。
私には何もありません。
現状を変えるための努力すらできないのです。
もしこのブログを読んでる人がいて、その人がまだ取り返しのつく環境にいるのであれば、とにかく頑張ってください。
格好つける必要はないし、誰かに笑われても自分が満足できるように生きてください。
老害めいたお願いですが、
何か一つでも全力で成し遂げることができれば、今後の生きる意味になるかもしれない。
後悔がなければ、きっと死ぬときだって未練なく前向きな気持ちで死ぬことができるでしょう。
そうです、私は早く死にたいのです。