『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』を見ました。
久々のVISAです。ギリギリ生きてます。Twitterは毎日やってるからヴァレヴァレ
現実でしつかりとブログを更新している方に出会って、こりゎぼきもブログを更新せねば・ラオ・ザビと思い立ちて更新せしメントス。
文章がすごくてびっくりこいた。
一瞬だけやる気が出るときってあるよね。
以前、「これからブログめちょめちょ更新していくばい!!」みたいなことを言ってた気がするけど、そういう感じ。
継続 is Powerなんだけど、難しすぎ
皆さんは最近何してますか?お元気ですか?
私は……
毎日つらつらとつらみ現在進行形なので死に体で「死にてぃ!w」ちゅってます。
ちな、死に体の読みは「しにたい」であって「しにてい」じゃないぞい
というわけでタイトルにある通り、『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』を見ました。
あらすじ
全ては僕の責任だ、全員の命は救えない
ピーターがスパイダーマンだという記憶を世界から消す為に、危険な呪文を唱えたドクター・ストレンジ。
その結果、このユニバースに、ドック・オク、グリーン・ゴブリン、エレクトロ、サンドマン、リザードといった強敵たちを呼び寄せてしまう。マルチバースが現実のものとなってしまったのだ。
彼らがこのユニバースに同時に存在することだけでも既に危険な状況に。
ストレンジは、ピーター、MJ、ネッドに協力を求め、彼らを各々のユニバースに戻そうと試みるが、
次々とスパイダーマンに襲い掛かるヴィラン達。その脅威は、恋人のMJ、親友のネッド、さらにはメイ叔母さんにまで。
最大の危機にさらされた、ピーター。このユニバースを守り、愛する人達を守るために、
彼に突き付けられる<選択>とは――
日本での公開から約10日が経過して見に行きました。良すぎて良さミジアに感染しました。
最近は監督の私小説だの自己投影だのの作品ばかり見ていたので、久しぶりに素直にエンターテイメント性の高い映画を見た感じです。
本作はホーム・カミングから始まるトム・ホランド主演のMCU版スパイダーマン三部作の集大成です。
実写版の映画スパイダーマンは過去にも、トビー・マグワイア主演の『スパイダーマン1~3(ライミ・バース)』とアンドリュー・ガーフィールド主演の『アメイジング・スパイダーマン1~2(ウェブ・バース)』がありもいた。
一応全作品見ていますが、そのすべての中でも特に面白かったと思います。
上映時間も2時間越えで結構長い映画だったんですが、全く退屈することなく映画の世界に入り込むことができました。
ただ、あくまでファン向けの映画であって、細かいところを見るとツッコミどころもある感じです。
本作は時系列的にファー・フロム・ホーム直後(夏の終わり頃?)からなのですが、劇中ではハロウィンも終わってクリスマスまで過ぎているので、かなり長い間の出来事なのかな、と思いました。
ノーウェイ・ホームは予告時点から過去作のヴィランが登場することが明かされていました。
なので「これから見るよ~」って方は是非、ファー・フロム・ホームまでの映画8作品すべてを見てから本作をご覧ください。
ヴィランを演じられた役者の方々の演技も真に迫るものがあり、素晴らしかったです。
特にウィレム・デフォー演じるノーマン・オズボーン/グリーン・ゴブリンは本当に……
ネタバレなしの感想はこんなもんで。短いけどしょうがないよね
ネタバレなしの感想なんて映画の全体的な構造くらいしか語ることないし、専門家じゃないからそんなに語れないよ~~
というわけで、この先は本作や関連作品のネタバレを多分に含んだ内容となっております。ご覧いただける方はご注意ください。
さて、『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』は映画スパイダーマン全作の集大成のようなものになりましたね。
ほとんどの過去作のヴィラン達は『自分の死の直前』にMCU世界に飛ばされてきたようでしたね。
また、ヴィランだけでなく、ライミ及びウェブ版ピーター・パーカーが登場しました。
個人的にアメイジング2はシリーズの中でもかなり好きな映画なので、ウェブ版ピーターが出てきたときに感動しちゃいました。
アメイジング2では時計塔から落下するグウェンを救えなかったウェブ版ピーターが、今回は自由の女神像から落下するMJを救うことができたということで、
直前のシーンでは「(グウェンは)自分にとってのMJみたいな存在」という発言もあって、より胸に来るシーンになっていました。
その時のウェブ版ピーターの表情がすごく良かったです。
「やっと救えた」という表情にも見えるし、「今回は救えたのにあの時は……」という表情にも見えて。
本作のテーマは“救い”
本作は全体的に“救い”がテーマになっていて、ヴィランだけでなく過去作のスパイダーマンをも救う作品だったと思います。
上述の通りウェブ版ピーターを救ったのは言うまでもなく、ノーマン・オズボーンを救えたということでライミ版ピーターの後悔に対しても救いがありました(間接的にハリーとその関係も救えたため)。
メタ的な視点では、役者に対する救いでもあったのかなと、役者へのインタビューなんかを見るとそう感じます。
特にアンドリュー・ガーフィールドはアメスパの打ち切りで、スパイダーマンに対してネガティブな感情を持っていたと語っていました。
打ち切りの理由は興行不振とかイベントドタキャンで経営陣をキレさせたとか諸説ありますが……
それが本作のおかげでようやく前向きになれたとのことで、気持ちの整理もできたのかもしれませんね。
あとは作者の都合で悪役として殺されてきたキャラクターへの救いとか。
各ピーターのやり取りもすごくよかったですね
「大いなる力には、大いなる責任が伴う」という、スパイダーマンの根幹を表す言葉で団結するシーンなんか、ヒ~ン🐎ってなりました。
アメスパでは上記そのままのセリフはなかったと思いますが、似たようなセリフで「人のためになる行いができるなら、それをやるのが道徳的な義務だ」という言葉が出てきています。
あとライミ版ベン叔父さんのセリフと、MCU版メイ叔母さんのセリフは、字幕で同じように書かれていますが、英語で聞くと少し違っています。
MCU版メイ叔母さんのセリフの方が原作のキャプションと同じになっています。
ただ、『最も手強かったヴィラン』でウェブ版ピーターがライノを上げていたのは疑問ですね。
アメイジング3やシニシスター・シックスが制作されなかったので、勝手に「その後の敵」を出せなかったのかもしれません……
もう一つの作品テーマ
本作は“救い”がテーマになっていると述べましたが、一方でMCU版スパイダーマンの始まりの物語であったとも思います。ビヨンドってやつです。
作品中では前作から時間があいていないというのもあって「むしろ前作と本作で1つの物語なのでは?」とすら思います。
過去作のスパイダーマン達は、1作目でベン叔父さんを失ったことをきっかけに、『スパイダーマンとしての信念』を獲得していました。
自分の行動がどのような結果をもたらすのかを自覚する、まさに「大いなる力には大いなる責任が伴う」ですね。
これがスパイダーマンの孤独な闘いの始まりだったわけです。
MCU版ではそういった喪失を経験せず、自覚もなく、なあなあでヒーローをやっていた部分があったと思います。
それは本作での「別の場所にも犯罪者はいるし……」というヒーロー活動ができればどこでも良いかのような発言からも感じられます。
(実はMCU版では、スパイダーマンの代名詞でもあるニューヨークで戦っているのは本作が初で、元々ニューヨークでのヒーロー活動もそこまでやっていなかった)
ライミ及びウェブ版スパイダーマンでは協力的だったニューヨーク市民が、MCU版では敵対的であった違いもこのあたりに起因する部分があると思っています。
そもそもいろんな事件があってヒーローに対して懐疑的な意見も少なくない世界であったというのもありますが、MCU版スパイダーマンはアベンジャーズの一員ではあるののの、ニューヨーク市民にとっては“まだ”親愛なる隣人ではなかったんだと思います。
そんなMCU版ピーターはトニーを失った後のファー・フロム・ホームでも結局覚悟は固まらず。
それが、本作で「大いなる力には、大いなる責任が伴う」という言葉を託され、メイ叔母さんを失い、他バースのピーター達に支えられてようやく信念が固まったと思いました。
殺すことだってできたヴィラン達を救う道を諦めず、メイ叔母さんに託された道徳心を持つことを貫いたわけです。
今回の喪失をもし経験しなかったならば、ラストシーンで自分がスパイダーマンであることをMJやネッドに明かしただろうし、今後のスパイダーマンとしての活動に巻き込んでいただろうと思います。
(その前に、自分の存在を世界中から忘れさせるという選択ができなかったかもしれない)
『トニーから学んだヒーローとしての在り方』と『メイ叔母さんから学んだ人としての在り方』、この2つ在り方が、本当の意味でMCU版スパイダーマンを作り上げたんだと思います。
そして最終的に、誰から貰ったものでもなく、特別な機能だってなにもない自作のスーツに身を包んで街を守るために飛び回るのです。
ところで、本作もアホほど小ネタが仕込まれていて、全部把握するのは無理なんじゃないかってレベルでした。
しかしここでは壁の落書きだとか、バク転要求おじさんだとか、誕生日会のマジシャンネタだとか、そういう本当に小ネタみたいなのじゃなくて、もっと心揺さぶられる部分の話をしたいのです。
特に本作ではオットー・オクタヴィアスの存在がすごくよかった。
ライミ版ピーターとの「努力してます」のあたりのやり取りは、スパイダーマン2での初対面の時の会話にかかっていて、感慨深いものがありましたね。
「大人になった」というセリフも、ライミ版ピーターが立派な大人になっていたというのもありますが、当時映画を見ていた視聴者側にも投げかけられているようで、勝手に感動しました。
他にも、登場してすぐ(敵対時)アームのコントロールを奪われた際に「私の言うことを聞け」というセリフはスパイダーマン2ラストで正気を取り戻したときにアームに対してかけたセリフで、
逆に本作で正気を取り戻した後に言った「太陽の力が~」というセリフは、本来闇落ち時(厳密には闇落ち前)に言っていたセリフで、同じセリフでも状況が逆転していたのが面白かったです。
こんな大作レベルの作品が、構想から封切までおよそ2年程度というのも驚きです。
MCUって映画の公開ペースがすごく早いですよね
仮面ライダーなんかも構想の期間は結構長そうなので、撮影でもう少し時間が取れれば、ちゃんと面白い作品ができるんでしょうか?
ここまで割と絶賛していますが、実は本作はちょっとズルい作品だとも思っています。
というのも、本作の評価のほとんどが純粋に『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』単体(あるいはMCU版スパイダーマン3部作)の評価ではないからです。
もちろん上述の通り、MCU版ピーターの物語としてもしっかり成立しているのですが……
実は私たち日本のウンコオタク共はこの感覚を以前にも味わっているはずなんですよね。
それが日本の特撮作品である『仮面ライダージオウ』です。ゴーカイジャーもそうかも。ディケイドは……どうだろう。
仮面ライダージオウは、平成ライダー20作目を記念して、過去の平成ライダーも登場するわけですが、
特に中盤以降顕著になった「オリジナルキャストが出演して(厳密には違うかもしれないが)本編のその後を描いているから面白い/ワクワクする」という現象があります。
今回のスパイダーマンもこれと似たような部分があって、オリジナルキャストが出演したから感動した部分が皆さんあると思うんですよね。
ロキでマルチバースの存在が明示され、ノーウェイ・ホームで過去作のキャラが登場したMCU。
特にマーベル作品はハルクやデアデビル等、同じ題材でありながら俳優を変えてリブートされた作品がいくつかあります。スパイダーバースのような作品もあります。
なので、今後のMCU作品の評価軸に「過去作のキャラが出てきたかどうか」が追加されるのではないかと考えています。
(過去作のキャラを出すことに前向きとの噂もあります)
このある意味でズルい手法を使ったMCU作品が、今後どうなっていくのか……
続いて気になったところというかツッコミどころ
最終決戦前とか最中に3人のピーターが駄弁ってて、ファンじゃなかったら「今そんなこと言ってる場合かよ?」と思いそうなシーンがありましたね。
それ以外にもありまして
ヴィラン達がMCU世界に来た理由
ドクター・ストレンジがマルチバースから集まってきたヴィランの共通点は『スパイダーマンの正体を知っていること』と言っていました。
でもこれって本当?
マックスはスパイダーマンの正体を知らないのに呼び出されてるし。後述のセリフと見た目の違いもあって実はマックスはアメスパ2とは違う世界から来たのかとか、ドクター・ストレンジの推測は間違ってて別の原因が今後影響してくるのかとか、そういうことを考えています。
ヴェノムに関しては、シンビオートはいろんな世界の知識を持っているってことらしいです。
よくわからん……それにその理由だとカーネイジも来ちゃうと思う。
ヴィラン達の行動の謎
ノーマン・オズボーンが敵対したときにオクタヴィアとマルコはなぜ逃げだしたのか。
あの時どちらかでも残って味方してくれていれば、メイ叔母さんは死ななかったかもしれない……
物語都合で殺される悪役を救う本作で、物語都合(MCU版ピーターの成長イベント)で殺されるメイ叔母さんという構図に見えてしまうのは残念です。
特にマルコは最終決戦でも敵対していましたが、MCU版ピーターは信じられなかったとしても、ライミ版ピーターと言葉を交わしても味方にならなかったのは謎です。
映画スパイダーマンシリーズでも唯一死なずに和解できたヴィランだったのに。
コナーズ博士に至っては影が薄すぎる。ライブラリ出演だから仕方がない……のか?
ワクチンの色
コナーズ博士を治療するためのワクチンの色が、本作では緑色でしたが、アメスパでは青色でした。
緑色ってむしろトカゲ化させる方では……
邪魔な正しさと配慮
自分の頭にポリコレやリベラルやBLMといった知識が定着したせいで、作品を見ている間にもちょいちょい引っかかる部分が出てくるようになっちゃいました。
MCU版スパイダーマンは当初から、主要登場人物の人種がそこそこ多様で、そういう方向に配慮しているのかなぁと感じていました。
原作とは肌の色も髪の色も性格も違ったりね。
でも冒頭の黒人女性がスパイダーマンのマスクを奪おうとして「殴られた!」と主張していたシーンを見て、「ウッ!」ってなっちゃった。
マックスの「スパイダーマンは黒人だと思ってた」というセリフも必要だったかなぁ……
マイルズ・モラレスの存在を示唆したいんだろうけど。
作品を楽しむうえで、この正しさの物差しはとっても邪魔ですね……
長ったらしいつまらん感想文でしたね~
私はいつも、誰が読んでもわかるようにと思って文章を書くので、状況説明とかがゴチャゴチャついてきて長ったらしくなっちゃうんですよね。
コミュ障のオタク共はこの気持ちがわからん?
普段から口頭で説明するときに、誤解なく伝わるようにいちいち状況から全部説明しようとしちゃわない?
それよ、それ。
もっとこう、小説的というか、読み物みたいな文章が書きたいのよ~~
要は「ノーウェイ・ホームめちゃおもろいから、映画スパイダーマン全部見てから見て!」ってことが言いたかったワケ