2015年最後の射精
9月から長らく放置しておりましたが、いよいよもって2015年も終わるということで更新します。
誰も読んでないでしょうけど。
クソくだらない話をします。
冬休みは1週間ちょっとあるんですけど、やるべきこともやらずに毎日ダラダラと過ごしています。
あとあと困るのは自分なんですけど、本当に何もやる気になりません。困りMAX。
こう無駄に時間を過ごそうとするとネットサーフィンをするのが常で、何の意味もなく画面を見ています。
最近は修羅場、不倫、浮気、寝取られ系のまとめ(実体験のやつ)を見ています。
こういった話題は世界に男女がいる限り尽きないものですね。報復するものからうやむやになるものまで
修羅場とかの話題はもっぱら夫視点からのものが多いです。なぜかというと興奮するからです。
嫁と間男が行為に及んでいるところを見てしまった夫の話。
報復で夫にすがってくる元嫁のことまで書かれた話。
などなど....
大まかに分けるとこの2つが好きです
前者は言わずもがなNTRということで非常に興奮します。僕はもちろん彼女がいたこともないしこれからできるとも思わないので経験しないことなのでしょう。
当事者にとっては興奮もクソもないのでしょうけど
後者は誰でも興奮するでしょう。興奮しますねぇ.....
あと毎日NTRモノを読んでいます。
しかし僕はNTRモノはオススメしません。非常に胸糞が悪いですからね(興奮する)
リョナとかやたら自分の趣味趣向を強要してくる人ってなんなんでしょうね。
「ヒトヅマカリ」というNTR本はなかなか良かったです。
ツイッターでの僕の行動の大まかな感じをここに書きます。
・好きなアニメとかのことを話す
・嫌いなアニメとかの文句を言う
・エアリプ的な感じでわざと頓珍漢なことを言う(話の腰を折る)
無駄にネットで時間を過ごす際に痛感することとして、“以前よりもつまらなく感じる”ということがあります。
もう卒業しろって話なんですけれども。
僕はここ最近急激にそう感じることが増えまして、理由はなぜかと考えてみました。
あくまで何の裏付けもない、「なぜ僕がネットをつまらなく感じるようになったか」という話です。他の人は知りません。
嫌いなものはつまらなく感じるということは念頭に置いています。
これは何度かツイッターでもいったことなんですが、2chやSNSなどがただひたすらに他人と同調するためのツールになっているためだと思いました。
以前は各々がスレの流れを面白くしようとしたりしていたように思えます。安価スレだとクソつまんねぇこと言ってるやつもいましたが。
ツイッターでも4~5年前まではそんな感じではなかったでしょうか。ネタツイや常用でない顔文字なんかを使って面白いツイートをしようという意気込みみたいなものを感じていました。
パクツイも横行していましたね。
あとは専門的な話題の共有、議論でしょうか。
しかし今はそうではありません。
アニメ、ゲームが同調のための道具とされ、流れの中では肯定的意見のみが認められるようになっていると思います。
その中に個はありません。
後から入ってきた人は「周りが面白いと言っているから面白い」というように、まず第一に周囲の人間の存在が念頭に置かれているように思います。
他人の意見が存在し、そのフィルタを通した見方しかできない、そんな感じです。
そしてアルファという概念は忘れられつつありますが、今度はみんなが絵師を囲い、祭り上げるようになりました。
有名絵師が赤といったら赤になってしまう、そんな雰囲気になってきました。
どこもかしこも旬の話題と同じ意見ばかりになってしまえばふとした時の面白さの発見も、違った視点への理解も無いのです。
これらの延長でアニメやゲームに限らず、その他のことも共感することが正とされているように思います。
別に流行り廃りがあるのは何とも思わないのですが、この「みんなが」「絵師が」という流れで流行ったように取りざたされているものには疑問を持たざるを得ません。
企業マーケティング的にはこんなに美味い話はないでしょう(ステマというわけではないです)
思えばことの始まりはまとめサイトの衰退かもしれません。
所詮僕の見ている狭いネット世界での一番ホットな場所は2chだったわけですが、
まとめサイトが衰退し、所謂新参が2chに入ってこなくなり、2chはまたよっぽどの話題性のあるスレッド以外はまた昔のように閉鎖的な場所になりました。
スレッドにいても住民そのものが減っているようにも感じます。
そのため以前のようにエネルギッシュな話題発信がなくなり、倦怠期に陥っているのかもしれません。
ひろゆき氏の書き込みに
初期:
面白い人が面白いことを書く
中期:
面白くない人が面白いものを見に来る
終末期:
面白くない人が面白くないものを書き始める
というものがあります。有名ですね。
とはいえ新しいものがないと結局終わりに向かっていくので、ある程度の人の流入は必要です。
だからまとめサイトが衰退し、目に見えてVIPが衰退しましたよね。だから話題の発信力もなくなり、面白くなくなった。
今はなんJが一番盛り上がっているのではないでしょうか。結局雑談板も必要なのです。
DQNに乗っ取られてただの珍走になり下がったクリスマスツーリングなんかは上記のコピペ通りになってますけど。
僕は馴れあい、傷の舐めあい、そんなサナトリウム的な雰囲気が大嫌いです。
これまでは見ないようにすれば見ずにすんだことなんですが、ツイッターのタイムラインほぼ全体がそうなってしまっては僕はどうしようもありません。
だから僕はつまらなく感じるようになったのでしょうか。
その馴れあいの世界に入り浸っている人は正義が自分にあるとでも言いたげです。
そりゃそうですよね、馴れあいの中ではみんなが自分を肯定してくれるからです。
同調と肯定の拡大が現状を生み出しているのではないでしょうか。わかりませんけど。
ではなぜ僕はツイッターを続けるのかですが、それは単に意見を形にしたいからです。
発信したいわけではありません。このブログも同じです。発信したいのなら人の目につくところに書きます。
独り言のようなものです。
その独り言に共感したときに繋がりを持てばいいのです。
それまではずっとただ独り言でいいのです。かつての2chで言われていた「便所の落書き」や「チラ裏」に近いかもしれません。
あくまで個人が前提です。“みんな”が最初に来るものではありません。
繋がりを作るためのツールという点では僕の嫌いな使い方と僕の使い方は似ているようですが、
繋がるのが目的なのか、別の目的で使用して結果的に繋がるのかで僕の中では違います。
うまく伝えられません。ごめんなさい。
何のまとまりもない話をダラダラと続けてしまいました。年末にする話ではないですね。
まぁ不満を来年に持ち越さないという意味でもここに吐き出しておきます。
あと面白いつまらないの話とはずれますが、ネットでの過剰な叩きもこの同調に通じるものがあると考えます。
ネットに正義はありません。
ブラック企業とか、明らかに悪意のある人を不幸にするものに対してはネットを使って大きな発言力を得ることも重要です。
しかしある腐女子の虚言とか、そういうのに対する不快感はあくまでも個人の意見の範囲にとどめておくべきです。
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画面越しに自分を見つめて、冷静なふりをして自分を分析したつもりになっているやつにロクなやつはいません。
実際には自分の本質は何も見えていません。
関わらないようにしましょう。
2015年の秋アニメ
コンクリート・レボルティオ
が特に面白かったです。
ファフナーは前テレビシリーズ、劇場版を見ている前提です。そうでないと話を理解できません。
コンクリート・レボルティオは分割2クールです。
他のは特に何とも思わなかったやつとクソつまんなかったやつに分けられますが、長くなるので割愛します。
機会があったら書きます。見たくないでしょうけど。
~ここからは何のオチもない愚痴です~
メンヘラというのは常に自己否定をしているように見えて人一倍自己愛が強い(ここが圧倒的に鬱とは違うと思います)ので、自分の言動が矛盾していても関係ありません。
矛盾を指摘したりするとプッツンします。
周囲の仲間に助けを求め、同調します。類は友を呼びますからね(僕は友がいませんが)
なんかこの辺は僕に害を与えてきたアスペルガーの人に似てるなぁ。
あとその時その時の自分の感情に後付けで理屈を付けているので、論理的に見えてもそうではないんですよね。
過去の発言と矛盾している~なんてことをよく見かけます。
結局頭がいいわけでも論理立てているわけでもなく、感情ありきの考え方なのです。
年を取って考え方が変わるとか、そういうのとは違います。
あと鬱病が病気なのはわかってますし、メンヘラがそれなりに辛いのもわかります。
しかし今まで他人に優しくしてこなかった人間が、他人のことを考えてこなかった人間が、
鬱病やメンヘラになったからといって優しくしろだのなんだのというのは都合が良すぎると思います。
理解はしますが。
あとこれを主張するのは鬱病の人ではなくメンヘラです。
当人が主張するのは違うだろう、と。
あと何事においても優しいのと甘やかすのは違うと思いますから。
僕は都合よく利用されるのは嫌です。