廃棄物処理場

メンヘラクソブログ。

『劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス』を観ました。

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観てきました。

とても面白かったです。これは2期は別に見てなくてもいいかな?と思いました。

感想はネタバレを多く含みますので追記から。

う~ん、ぼっちんこ!(ワラ

ついでにふなっしーが来ていたので見ました。


STORY

世界は禁断の平和(システム)に手を伸ばす。

2116年――常守朱が厚生省公安局刑事課に配属されて約4年が過ぎた。

日本政府はついに世界へシビュラシステムとドローンの輸出を開始する。長期の内戦状態下にあったSEAUn(東南アジア連合/シーアン)のハン議長は、首都シャンバラフロートにシビュラシステムを採用。銃弾が飛び交う紛争地帯の中心部にありながらも、水上都市シャンバラフロートはつかの間の平和を手に入れることに成功した。シビュラシステムの実験は上手くいっている――ように見えた。

そのとき、日本に武装した密入国者が侵入する。彼らは日本の警備体制を知り尽くしており、シビュラシステムの監視を潜り抜けてテロ行為に及ぼうとしていた。シビュラシステム施行以後、前代未聞の密入国事件に、監視官・常守朱は公安局刑事課一係を率いて出動。その密入国者たちと対峙する。やがて、そのテロリストたちの侵入を手引きしているらしき人物が浮上する。

その人物は―― 公安局刑事課一係の執行官だった男。そして常守朱のかつての同僚。

朱は単身、シャンバラフロートへ捜査に向かう。

自分が信じていた男の真意を知るために。

男の信じる正義を見定めるために。

引用:公式サイト

冒頭からドミネーターではなく火薬を使った銃撃で始まります。絞噛は東南アジアの反政府ゲリラに参加していました。

この最初のシーンだけで今まで謎に包まれていた絞噛の近況が理解できます。

「こんな場所あったっけ?」と思えるようなスラムのような街、東南アジアの水上都市などTVシリーズで見てきた街を越え、さらに広い世界での話になります。

第1期のエピローグで描かれた"船に乗った絞噛"失われた時を求めての伏線が回収されています。

話の内容そのものを事細かに書いていくことはできないので、実際に映画を見ていただきたいと思います。

しかし劇場版ということもあり、執行シーンや虐殺のシーンが鮮明に描かれています。

物語の本質はそこではないのですがやはりグロ描写の苦手な方にはオススメしかねます。

第1期開始から設定上4年が経過しているということで常守がとてもたくましくなっています。

第2期では"朱さん"と視聴者に呼ばれるほどの貫録というか、強さが強調されていました。

もちろん劇場版でも絞噛と互角にやり合うほどたくましいのですが、その中に久しぶりに"朱ちゃん"が見られたような気がします。

これはやはり相手が絞噛であるから出てきた面なのかな、と思います。

水上都市である"シャンバラフロート"はかなり近未来的な都市になっています。

そこはシビュラシステムを日本から輸入し、紛争や内戦の絶えない地域でのシビュラによる管理社会がもたらす平和の試験場のような場所です。

しかしシャンバラフロートを一歩出てしまえば、現実の現代と変わらないような紛争地域が広がっています。

ミリタリーはよくわからないのですが、使われている武器も現代のものだそうです。(パンフレットの監督談より)

この作品の特徴でもある小説等からの引用が今作でも見られました。

第1期では『○○の~~というものがある。あいつは××だ。』のように、絞噛たちが引用、問答し対象のキャラクターを考察する。というように描かれていました。

第2期では『~~は所謂○○だ。』という単なる引用になっている事が気になっていたのですが、劇場版は第1期のような扱い方がされていてそこにこの作品を感じました。

ここが第2期で気になっていた点だったので。

第1期と第2期では制作陣が違うのですが、劇場版は第1期のメンバーが携わっています。

第2期のメンバーが悪いとは思いませんが、やはり第1期と続き物の一シリーズとしての雰囲気が異なってしまったのは少し残念に思っていたので劇場版を見て安心しました。

話の内容自体はとても安心して見られるものではないのですが。

劇場版は第2期よりも先に作られていたようで、脚本の虚淵氏は「1期のやり残しの補完」、監督の塩谷氏は「基本は1期のメンバーで」というつもりで作られたそうです。

一係のメンバーは第2期以降のメンバーだし強襲用ドミネーターも登場しましたが、こういった経緯からかはっきり言って第2期が無くても話は理解できると思います。

カムイや東金といったワードも登場しません。

僕は第2期の最後のシビュラの選択をこの体制への大きな一歩だと思っていたのですが、劇場版のシビュラからは第2期で経てきたたことが感じられません。

この点が少し残念に感じられました。

霜月は完全にシビュラの犬に成り果てすごくむかつきました。しかしポンコツではなくなっている様子。

宜野座がすごく第2期以上に格好良くなっていました。

しかしまたこの映画を通してシビュラが一つ成長を遂げたようにも思えました。

最後にシーアンのハン議長(影武者のシビュラ)が辞任し、紛争の絶えなかった地域に国民の選挙による民主主義がもたらされます。

絞噛たちゲリラは多くの犠牲を払い、これを目的に戦ってきました。

選挙報道に対する現地の子供の「つまりどういうことなの?」という問いかけに絞噛は笑みを浮かべながら「もう銃を持たなくていいってことだ。」と答えました。そしてエンディング.....のあとにエピローグがあります。

選挙速報によれば選挙を行ってもハン議長の圧勝。もう一度子供たちが銃を握ることになるでしょう。

選挙を行っても選ばれた指導者はこれまでと変わらなかった。

監督曰く「世界は変わらないかもしれない。だけど絶対に必要な過程だった。変わらないからやらないんじゃない。変わらなくてもやらなきゃいけないことがある。この作品を観た方にそれがうまく伝わればいいなと思います。」だそうです。

言いたかったことはこのあたりでしょうか。

今後この作品に展開があるかどうかはわかりませんが、今回の映画で絞噛を追ってきた朱、宜野座の話は一区切りついたかと思います。

似た者同士として扱われてきた絞噛と填島の生き方の違いや、傭兵との戦い、平和と革命、絞噛と宜野座の共闘などこの一本に見どころがたくさん詰まっています。

エンディングが名前のない怪物なのも良いなと思いました。

しかしこの作品の扱っているテーマはとても大きなもので、今回の映画でも大きな変革の中の一つの事件が終わったにすぎません。

僕はこの映画の終わりを「選挙でまたハン議長が選ばれる」という結末ではなく、この選挙の結果もこれからの社会を作っていく過程だと感じました。

まだすべての答えが出たわけではありません。恐らく常守の戦いはこれから数年あるいは数十年ずっと続くでしょう。

ストーリーは綺麗に終わりましたがシビュラの変化、常守や絞噛の正義などはまだまだ終わりそうにありません。